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ここでしか書けない創刊秘話

音楽誌「音に生きる」創刊までの挫折・苦労・感動…悲喜こもごもの本音を編集長が語る!

取材ファイナル/大移動編

【第24話】
10月4日。午後3時。
ボクたちは青森に向けてオンボロ車に乗り込んだ。
メンツは編集部員の小笠原と2人っきり。
『音に生きる』創刊号の最終取材のため、ボクたちの旅は始まった。
ボクは助手席、あなたは頼れる運転手。
なんと不幸な小笠原、助手席に座るこの3日間の旅のお供は四輪免許を持っていないのである。
なんと不幸な小笠原、約1500kmを1人で走り続けるのである。
なんと不幸な小笠原、取材はビッシリ3本詰め込んである。
ボクとしてはさすがに肩身が狭いが、こうなったら仕方がない。
せいぜい道中楽しもうぜ、相棒!!
「ふざけんなっ」と、彼が心で叫んだことは言うまでもない。

そんなこんなで出発したが、途中いやな胸騒ぎ。
「ちょっ、ちょっと停めて、忘れ物したかも」
普段そんなことはないのだが、
なぜかカメラのメモリーカードを入れ忘れたような気がした。
カメラバックを確認、キチンと入っていた。
「オレが忘れるわけないジャン」と軽口を叩いた。
だが実は、この後起こる大事件への、
虫の知らせだったことを知る由もなく元気に再出発。
「運転大丈夫? 休憩挟みなよ」
と優しい言葉をかけるたびに
「ふざけんなっ」
と、彼が心で叫び続けたことも言うまでもない。

何度かの休憩を挟みながら一行は目的地へと進む。
この取材、手作りフェスの仕掛け人である成田氏のインタビューなのだが、
もうこのコーナーの読者諸君なら想像がつくだろう、
たった一人のインタビューで青森まで行くのは“もったいない”のである。
そこで、バイクの取材を2本仕込み、
計3本の取材にしたのだ。
とにかく距離を稼ぎ、朝までには青森入りしておき、
午前中にバイク取材。
移動(これがまた100km以上、でかいぜ青森)して、
成田氏取材。
翌日の午前中に仙台(これまた大移動)でもう一本バイクの取材をこなして帰る、
変則2泊3日の予定である。
小笠原は飛ばす、自分自身の明日のために。
なるべく早く現地に着き、
束の間の休息を得て少しでもいいコンディションで取材に臨みたいのだ。
ほとんどノンストップで11時前に目的地到着。
この時間なら宿でも取ろうかとの言葉に、
この旅で始めて彼の笑顔を見たような気がした。

ボクら編集部の合い言葉に“車中泊”というのがある。
たとえば朝から地方イベント取材の場合、
現地に明け方に着くように東京を出る。
開催地の付近に着くと、
トイレがある場所を見つけてそのまま車中で仮眠する。
2時間ほど寝て顔を洗い何事もなかったかのように集合場所へ行き、
さわやかに「おはようございます」と仕事をこなす。
恐怖の合い言葉でもある。
今回もそうなるだろうと、
2人とも覚悟していた。
だが、車中泊にするには到着が早かったのと、
運転手が1人という好条件(?)が整い、
小笠原は宿泊を勝ち取ったのである。
メデタシメデタシ。
コンビニで弁当とアルコールを買い込み、チェックイン。
仲よく風呂に浸かる。
「ふーっ」
安堵の小笠原。
地方の決してきれいとはいえないビジネスホテルの風呂なのだが、
これが至福に感じられるのだから編集者はある意味幸せなのかもしれない。
普通の暮らしの中で、この宿泊がこれほどありがたいと感じることはないだろうからね。
まっ、何事も本人の気持ちしだいってこと。
翌朝は7時に出発して、
取材に適した撮影場所を探し9時から始める予定だ。
「おやすみなさい」

午前中は予定通り順調にいき、移動。
青森駅で成田氏と落ち合い、インタビューを始めた。
自然光で写真を撮りたかったため、
野外で話を聞きながら撮影。
10代の少年が自分の育った青森のために必死になって開催したフェスはまさに手作り。
ほとんどコネもなくあれだけのアーティストを集めたのは、
彼の真っ直ぐな情熱があってのことだ。
『音に生きる』が目指している姿とバッチリ。
握手を交わして取材は終了した。
明日の仙台での取材に向けて
「どうする小笠原さん?」
と訪ねると
「行っちゃいましょう」
と即返事。
5時を少し回ったところで、
多分9時近くなるだろうが明日に移動距離を残すよりはいいとの、
当然といえば当然の判断だろう。
一路、仙台へ向けて出発したのだったが、
このときすでに事件は勃発していたのだった。(つづく)